ドイツに戻ってきました(前編)
年末年始にかけて2カ月ほど日本で過ごしていたのですが、2月5日に再びドイツに戻ってきました。
という話をすると、「えー!今ってドイツに入れるんだ?」という反応を(おもに日本の友人知人から)いただくことが圧倒的に多いのですが、はい、入れました。
思えば私がドイツを後にして日本に強行(?)帰国したのが2020年12月12日のこと。
ドイツではコロナの新規感染者数も死者数もぐんぐん伸びている時でした。クリスマスを前にレストランなどの飲食店が営業停止になるなどロックダウンが厳しくなっていましたが、移動制限はまだ出ていなかった頃です。
「今年のクリスマスが、おじいちゃんおばあちゃんたちと過ごす最後のクリスマスに(中略)ならないようにすべきです!」と、メルケル首相がドイツ連邦議会で切実に訴えたのが12月9日(ドイツ語のオリジナル映像はこちら)。
それまで、50が危険水域と言われていた7日間指数(人口10万人に対しての7日間の新規感染者数)が各地で200を超え始め、ニュースなどで紹介されるドイツの地図は真っ赤に染まっていました。
そんなときに日本に「帰ってきたよ〜」と言ったものだから、弟には絶句されましたね。
私としては、諸々の理由からどうしても帰国する必要があったため、フライト前の1週間は極力外に出かけず、体調管理は万全にして飛び立ちました。あと、ごく身近な人以外には伝えずに。
日本では、羽田空港で1時間くらいで結果の出るコロナ抗原検査を受けて、陰性ならば家に帰れるのですが、公共交通機関の使用は禁止。2週間は自宅待機を命じられました。
私は都内に実家があって、車で迎えに来てくれる身内がいたから帰国することができましたが、そうでなければ自腹でホテルに2週間滞在を余儀なくされることになります。
この時点ではまだ、東京では非常事態宣言が出ていませんでしたが、新規感染者数は増えていて、謎の経済対策「Go to トラベル」が、国会で槍玉に上がり始めていた頃でした。
そのようなご時世、私も帰国はしたものの、2カ月間で結局リアルに人と会って外でごはんを食べたのは2回だけ。だれかと一緒に外でお茶を飲んだのもそのくらいだったでしょうか。
あとは外食の必要がある場合は孤食に徹しました。私はもともと、出かけた取材先などでよくひとりごはんをする習性があるので、孤食はぜんぜん苦にならないというか、孤食のプロと呼んでいただいても構わないレベルです。
孤食者の強い味方といえばラーメン屋。しかし、一風堂もつじ田も、カウンター席に透明板の仕切りを設置して、総「一蘭」状態になっていたのには驚きました。仕切りのもともとの目的は違えど、一蘭は時代の先を行っていたんですね。
それ以外は実家にいておもに母と過ごし、午後に「相棒」の再放送を見ながらおやつを食べる以外は、ドイツにいるのとほぼ変わらない状態でリモートワークし、2年前に亡くなった父の遺品を母や姉と一緒に整理したりしていました。人と会うのはほとんどオンラインでした。
それでも時差がないぶん、たとえオンラインで会っていたとしても日本にいる人とは距離が近く感じるのを実感しました。同じ時間帯の中で生きていることって、やっぱり大きいですよね。
ロンドン在住の友人で、私より先に日本に帰国して同じように実家に長期滞在していた人がいるのですが、彼は仕事の必要性から英国時間(GMT)に合わせて生活していると言っていました。それで、週末に多めに寝て調整をしているんだそうです。
今回コロナ禍という事態を受けて、リモートならばどこに住んでいても同じように仕事ができるかも、という可能性が私にも生まれたわけですが、それについてはもう少し様子を見ながら考えてみたいと思います。
(後編に続きます)